2001年の2ndアルバム『クラシファイド』以降、ジェイドは、スウィートボックスのヴォーカリストとして活躍してきた。これまでに発表したオリジナル・アルバムは4タイトル。そのなかで彼女は、プロデューサーのGEOとの共作で、作詞でも才能を発揮してきた。
SWEETBOXを脱退したジェイドが独立し、ジェイド・ヴァレリー名義で、新たにソロ・シンガーとしてのスタートを切った。記念すべき1stアルバムのタイトルは『アウト・オブ・ザ・ボックス』。“型にとらわれずに、自由な発想で”という意味の英語だが、どうしても他にも意味があるのでは、と勘繰りたくなるようなタイトルである。
彼女の弁「これまでどおり新作でもプロデューサーのGEOと一緒に仕事をしているけれど、もっとシンプルにいい音楽をソロで演っていきたいと思ったの。スウィートボックスでいると、どうしても“ある種のサウンド”を期待されてしまうので、創作活動に制限が生じてしまう。もっと自由に音楽を創りたいという欲求を抑えられなくなったの。アルバム・タイトルは、もうスウィートボックスという名前では活動をしない、という気持ちを込めたある種のジョーク。いいタイトルでしょ(笑)」
ジェイドが言う“ある種のサウンド”とはクラシックのサンプリングだ。最初は単なるGEOのひらめきだった。デビュー・アルバム『スウィートボックス』(1997年)に収録の『エヴリシング・イズ・ゴナ・ビー・オールライト』で、バッハの名曲『G線上のアリア』を全面的にフィーチャーしたところ、この曲が大ヒット。それはGEOにとっても予想外の結果だったが、これがスウィートボックス=クラシックのサンプリングという運命を定めることになる。2作目以降も、チャイコフスキーやヴィヴァルディなどの名曲が彼らの音楽を彩り、斬新性で話題になったが、その陰で彼ら自身は苦悩していた。
「リスナーの期待は裏切りたくない。GEOのライブラリーには膨大なクラシックのコレクションがある。毎回そこからレコードを引っ張り出してくるわけだけれど、でも、ポピュラー・ミュージックに転用できる曲は限られている。曲探しは簡単じゃないのよ」とはジェイドの苦悩でもあった。
その足枷からソロとなることで、ジェイドはもちろんGEOも解放されたのだ。
SWEETBOXを脱退したジェイドが感じた自由な創作への歓び。それは活き活きとしたパワーとなってアルバム全編に溢れている。制作期間もこれまでになく短かった。「最初から楽しみながら創ろうって決めていたの。実際にどんなアイディアでも浮かんだら、その時の気分にまかせてカタチにしていくのは楽しかった。短時間でどんどん曲が生まれていったわ」
華麗なる転身として注目ぢているのは、江角マキコさんです。日本たばこ産業の女子バレーボールチームに入団。バレーボール選手で期待されたが怪我で引退。芸能界を目指しファッションモデルに転身。1995年、映画『幻の光』で女優デビュー。その後、数々のドラマ・映画などに出演。 とくに主演を務めたフジテレビ系ドラマ『ショムニ』が大ヒット。その後パート3まで放送され、彼女自身の代表作となる。
その後、2003年、11月から社会保険庁の国民年金保険料の収納率アップを狙った広報のイメージキャラクターとして起用されていたが、保険料未納が明らかとなったため契約を解除された。2006年、4月にNHK系ドラマ『マチベン』で女優復帰。さらに、バラエティ番組でも活躍している。有為転変いろいろあってもそれをのり越えて活躍する彼女の姿をみていると大いに勇気が湧いてきます。ジェイドも同じようにこれを機会にステップアップしてほしい。グループからソロに転身して成功している例はアメリカでもあります。
オリジナリティを大切にしながら、多勢のひとに受け入れられるサウンド作りを行ってほしいと思います。クラシックの基本がしっかりしているようなので、心に残る名曲を期待します。エンターテインメントの本場だけに、これからが正念場。本物かどうかは、作品がそのまま物語ることになるでしょう。
SWEETBOXを脱退したジェイドの日本での大ヒットも心から願っています。
この記事はブログルポの
転身・再出発特集の依頼により執筆しました。
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- 2007/10/08(月) 20:42:03|
- 憩いの広場・アート|
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